大正九年(ー九ニ〇)十月二十一日、県立二中と辻村農園跡地に小田原停車場が誕生した。人間の年齢に直すと、今年八十三歳になる。
城下町、宿場町として賑わいをみせた小田原の地は、明治維新後、政治的・経済的基盤が弱まり、町から活気が失われつつあり、そんな中での鉄道の開通は、どれほどの思いで待たれたことであったろうか。
駅の誕生は、小田原の新たな出発になった。幾多の要人、皇族、文人が別荘、保養地としてつかい始め、芸術家も徐徐に移り住んで独得の雰囲気をもつ町に変化してゆく。小田原地方新聞記事日録によると、当時活躍した政界財界の人々や、皇族方の小田原駅乗降の様子が詳細に記録されている。が、それだけではなく、庶民の暮らしにも深く関わった。日中戦争、太平洋戦争に出征する兵士を見送り、遺骨になった兵士を出迎えた駅でもあった。
平成十五年、ニ○〇三「小田原停車場はその使命を終え、新しく生まれ変わる次代の駅にバトンを渡し、取り壊されることになった。
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