ふだん何気無しに見過しているステンドグラスにも歴史があり、困難な中を切り開いて日本独特の作品を生みだしていった私たちの大先輩の姿がある。
新しい建築の生産体系がつくられていった明治の時代から大正、昭和へと続く頂で活躍した建築家と建築物は、たくさんの研究者によって体系づけられ書物に著わされている。このことは後に続く者にとってどれはど心強いか計り知れない。しかし、彼らの建物をより美しく魅力的にした技術者のことは、少しの例外を除いて殆んど記録がなされぬままきた。ステンドグラスも然りである。
消えてしまうかにみえた日本のステンドグラスの二大源流は(宇野澤系、小川系)、消えなかった。昭和23年戦後の混乱期の中で東京では別府正太郎が別府ステンドグラス製作所を再興し、松本三郎が松本ステインドグラス製作所を興した。大竹龍蔵も千代田ステンド改め大竹ステンドグラス製作所を再興する。関西では大阪の木内真太郎がいち早く玲光社を立ち上げ、同じく大阪で羽渕寛がベニス工房を再開した。
宇野澤辰雄・小川三知によって、扉が開かれた日本のステンドグラス技法とその精神は、絶えることな
く、二代三代目に引き継がれ現在に至っている。
最後に、明治・大正・昭和初期のステンドグラス界のあれこれを、確かな記憶力でお話し下った志村博さんをはじめ、森勇三さん、池辺義敦さん、宇野澤辰次さん、小川三保子さん、藤本大五郎さん、別府松之助さん、別府道子さん、松本三郎さん、大竹勝弥さん、五十嵐澄子さん。
貴重な資料を提供して下った小川善三郎さん、波平暁秀さん、兼本邦興さん、村上睦雄さん、三崎隆さん、西澤摩耶子さん、木内保英さん、天笠義一さん、羽渕恭夫さんに心からお礼を申し上げたい。お名前を挙げさせていただいた方々の大半は亡なられた。おききしたいことばまだまだあった。もう少し神経を集中させてお話を何っておくべきだったと悔まれてならない。
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